まず一行が訪れたのは、仙台市青葉区八幡にある旧三滝温泉。ここは仙台西部の蕃山と権現森のふたつの山を中心に、広瀬川の南北両岸に沿って分布する「三滝層」の模式地です(地層名になっている地名の場所を模式地という)。
三滝層の露頭を観察しながら、溶岩・降下火砕物・火砕流の見分け方について説明があり、約800万年前、蕃山と権現森の2つの山で噴火が起きたと考えられる根拠などが、火山地質学専門の宮本さんから丁寧に解説されました。
また、三滝層を構成する三滝玄武岩は仙台城の石垣や亀岡神社の石段など歴史的建造物の石材として使用されたことや、昭和40年頃まではこの付近一帯に石材の石切場があった歴史も、蟹澤さんから紹介されました。
続いて、全国的にも有名な化石・鉱物の産地、仙台市青葉区郷六にある「化石の森」を訪れました。今から約500~400万年前、仙台付近は、北は岩手県花巻市付近まで伸びる大きな入り江のような海の入口であったそうです。
この時の海底に堆積した地層が「竜の口層」と呼ばれる海成層で、「タカハシホタテ」など、北方系の貝類の化石が多く採れることが説明されました。この地層をハンマーで堀ってみると、案外たやすく化石が見つかりました。それが「竜の口の海の時代に生息していた生物の、本物の化石だ」と、専門家に詳しい種名を教えてもらうと、子どもたちは、まるで宝物を見つけたように、嬉しそうにしていました。
郷六付近には竜の口層や三滝玄武岩があるほか、火砕流噴出で飛ばされた高温型石英も採れました。「高温のマグマから結晶化した石英は、そろばん玉のような形をしていて、大きいもので1cmくらいになる」と説明を受けた子どもたちは、砂金探しのような高温型石英採りに、しばらく熱中していました。
しばらくすると「竜の口の海」は、後退し始め、気候も温暖になり、海の底に沈んでいた仙台の大地は、再び、陸の時代を迎えました。そして、今から約400万年前の仙台付近は、メタセコイヤやセコイヤなどの森林が茂った温帯地帯だったそうです。
そこに、およそ350万年前、大きな噴火が突然、仙台の大地を襲いました。その痕跡を見ることができるのが、広瀬川河畔の評定河原の大露頭。約350万年前の火山活動による広瀬川凝灰岩部層の模式地です。
広瀬川凝灰岩部層を観察すると、一層で厚さ約8mもあり、火山灰や軽石など様々なサイズの粒粒が見られ、その直下に炭化した樹幹が見られます。「火山灰はふんわりと積もるので、現在の地層が約8mであれば、当時は100mくらいの火砕流が周囲を覆ったと考えられる。つまり現在の八木山辺りまで、すっぽり火山灰で覆われたことになる」という宮本さんの解説に、真っ白な火山灰や軽石で覆われたであろう約350万年前の仙台を想像しました。
この層を噴出した火山は、七ツ森カルデラが考えられているそうです。火砕流は時速80kmの速さで広がるため、仙台市街地付近は、噴火開始後15分程度で火砕流に包まれる計算です。なお、噴出源は七ツ森カルデラという通説がある一方、仙台市白沢の白沢カルデラの可能性も考えられるそうで、まだまだ解決すべき問題は多いことも説明されました。
この約350万年前の大規模な火山噴火で、仙台の大地は、セコイヤ類が繁殖する大森林から、一瞬で白色の荒れ地へと変貌しました。メタセコイヤ・セコイヤは、根の部分のみを残し、ほとんどが火砕流にのみ込まれ、なぎ倒されたと見られるそうです。
その樹木の根や幹の一部が、霊屋下の広瀬川河床に、直径140cmほどもある化石として残っていることが、蟹澤さんらによって、解説されました。化石林は珪化して白っぽく硬くなっており、年輪を数えると樹齢約800年ということです。化石林は昭和48年、仙台市指定・登録文化財になりましたが、その後、大部分が河原の石に覆われてしまいました。それが昨年6月の台風による大雨で広瀬川が増水し、今まで埋もれていた化石林が再び姿を現したそうです。参加者からは「ほぼ完全に近い形で残る化石林は全国的にも珍しい。貴重な化石林を知らせる努力をすべき」との声がありました。
なお、絶滅したと思われたセコイヤ・メタセコイヤですが、1945年中国四川省で発見され、「生きている化石」として人々を驚かせたそうです。この種子をアメリカで育てた苗が1950年に100本、日本へ送られ、そのうち3本が、仙台に送られました。その中の2本が、仙台市青葉区片平の東北大学旧理学部にある、メタセコイヤです(写真6/別日撮影)。この株からの挿し木が、仙台市内に植栽されるようになり、現在ではいろいろな場所で、この巨木を見ることができます。ちなみにセコイヤ類の成長速度は大変速いそうで、今や、絶滅の危機に瀕したことが不思議なくらい、日本全国で大繁殖中とのことです。
最後に一行は、約8万年前に噴火したという新しい火山「安達火山」からの降下軽石堆積物「安達-愛島軽石層」を観察するため、仙台市青葉区青葉台の露頭を訪れました。安達-愛島軽石層の噴出源は当初、蔵王火山と推測されたそうですが、この軽石層が含む角閃石が特殊であることなどから、噴出源は仙台からさほど遠くはない川崎町安達付近と特定された経緯が、説明されました。安達火山は、大量の軽石や火山灰を放出する、爆発的な火山噴火だったと考えられるそうです。このような噴火は、紀元79年、イタリアのヴォスヴォイオ火山の噴火で、ポンペイの街がわずか24時間で軽石や火山灰、火砕流で埋まってしまった出来事を詳細に記録していた小プリニウスの名をとり、「プリニー式噴火」と呼ばれるそうです。
参加した親子連れや高校生らは「自分たちの住む地域に、このような地質的歴史があるとは知らなかった」「地学と言えば古いものにロマンを感じるが、仙台の大地は新しいので、そんなイメージはなかった。身近なところに露頭や噴火の跡があるとは知らなかったので、大変おもしろかった」と感想を述べていました。
案内役を務めた宮本さんは、「地学は食わず嫌いな人も多いが、地学のおもしろさは”想像”にある。まずは、ものを見る体験を通して、見ていないものをあたかも見たかのように、大地の成り立ちをぜひ想像してみて」と話していました。